オタク・フィロソフィー

この世の地獄インターネット

最近思ってること(2)

俺はなにについて考えるときでも、できるだけ「中庸」であることを心掛けている。

 

バイアスは人を狂わす。主にINTERNETでそういう人をよく見かける。

 

 

俺は一年ちょっと前から仮想通貨の売買、最近では為替FXを嗜む程度にやっている。

 

 

種銭が種銭だし、そもそもあまり俺には初めからトレードの才能が溢れてたというわけではなくて、勝つときは勝って、負けるときは大きく負けていた。いわゆる「コツコツドカン」というやつだ。

 

 

俺はトレードを通して(なのかどうかは定かではないが)、バイアスの危険性を身を以てわからされた。

 

 

まあそんな話はともかくとして、今回はバイアスの危険性について語りたかったのだ。

 

 

いや違う。そんなことではなかった。

 

ただの自分語りであった。

 

 

俺は優柔不断だ。

 

そして、俺はいかなるときも「中庸」を貫こうとする。

 

 

結局、俺は優柔不断であるが故に、中庸という言い換えれば半端な道を選ぼうとしているのかもしれない。

 

 

俺は何かを考えるときに逆張りをする。

その逆張りは、何かの逆を行くためでなく、何かと何かの中間に立つためのものだ。

 

 

ここでバイアスは大体払拭される。

 

 

ただ問題なのは、バイアスなくして人は前へ進めるのか、ということだ。

 

 

 

人は自分が正しいと信じた道を往く。

 

 

俺が超カッコいいと思ってるルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだって、ジョルノ・ジョバァーナだって、その他大勢のアニメやエロゲ・ギャルゲの主人公だって自分の信じた道を往っている。

 

 

何かを信じるということは、何かにバイアスをかけることとほぼ同義だと思っている。

 

 

俺にそれができるだろうか?

 

 

恋愛だって就職だって、その人間や会社が「少なくとも自分にとっていいものである」という、ある種のバイアスのようなものがかかっていなければ到底できないことだと、俺は思っている。

 

 

疑い続けたり、何かの間に立ち続けているだけでは、自分から何かを起こすのは難しい。

 

流石に齢18(今年19)とはいえ、このくらい生きると行動にも責任が伴ってくる。

 

「中庸であろうとする」という行動それ自体にも責任が付きまとう。

 

まあ、ダルい。

 

とりあえず、小額から(多額でやるという選択肢はそもそもの金がないので不可)

FXでそれなりにお金を増やすことから行動を始めようとしている。

 

 

これが現時点での俺の幸福、もとい平穏な生活への道らしい。

 

 

人間って・・・ 面白!!・・・