オタク・フィロソフィー

この世の地獄インターネット

2月

このブログにもやっと年明けが来ました。
あけましておめでとうございます。





最近やっと自分が人生の岐路に立っている事を意識し始めた。


その岐路というのは大学受験で、現在の所謂学歴社会が色濃く残る現状においてはその重要性は顕著で、
またどのような大学でどのような事を学び、そしてどのような形で社会に貢献し、その報酬としてお金を貰う(別に貢献せずに金貰えてもいいんだけど)のかをある程度考えておくのも重要だと考える。


その岐路を上手く良い方向に進むために必要なのは、やはり勉強である。

しかしこの状況を岐路と捉えるより前、自分はどうしてもこの勉強というものが続かなかった。
英語は元々得意で、「文読むのが好きだから」という理由で現代文も好きだったが、古典、そして世界史は何も勉強したくなかった。

この2教科はそもそも学校でも勉強をあまりしていなかったし、特に古典は現代の日本と同じ平仮名と漢字を使っているにも関わらず意味が違ったりするので最悪だった。


しかし「嫌いだからやらない」というのが通じないのが受験勉強というもので、まあとにかくやるしかなかった。
けれどもモチベーションが圧倒的に足りないし、苦手な物をやるのに時間を使う覚悟がなかった俺は、
コンスタントかつ自分に厳しく勉強を続けている友達の中国人に相談してみたのだ。

そいつはこう言った。

「明日のために今日を犠牲に出来る日本人は少ない。この受験を通して君も典型的日本人から脱出しろ」と。

この同い年と思えない精神と言葉に俺は突き動かされた。
典型からの脱出。思えば学校の人間は、課題をやらず授業中もアホみたいに騒ぐ「明日のために今日を犠牲に出来ない」人間ばかりだった。

「型にハマらない」なんて言うと「意識たけ〜」という感じだが、とりあえず「努力が出来る人間になる」というのが大学受験という岐路における当面の目標だと感じた。